空き瓶

思ったことや自作小説について

暗い窓を開ける

親もとで暮らすとは, つまり親に養ってもらうということだ. この点で子は親に対し, いいのがれのできない恩義を負っている. 養ってもらっているのだから, 子は親に報いようと努めなければならないし, 逆に, 親の価値観に反するようなことをしてはいけない. 不義を働いてはならない.

こういう当たりまえのテーゼが, 僕には, 自分を囲う檻のようなものに感じられてならなかった. 養われている限り, 養ってもらっている恩義に反しないよう, すべてが制限されてしまう. あり体にいってしまえば, 親になにか理不尽なことをいわれても, 住まわせてもらっている食客 [しょっかく] に過ぎない以上, それに従わなければならない. "親" という枠線を脱せられず, その閉塞的な枠線のうちで延々と反射運動を繰りかえす ……, そういうイメージだ.

(―― で, その実例を長々と書いていたのだけど, うまく書けなくて消してしまった)

親もとから離れても, それまで育ててもらった恩義が消えるわけではないのだから, ひとり暮らしを始めたところで, 親の支配力がなにも消えて無くなるわけではない. だが, 金銭的に半ば自立しているというのは やはり大きな強みだし, なにより親がいないことで, あの閉塞的な枠線を意識しなくて済む. 幾分身が軽くなったような気がする.


ここのところ, 無気力が酷い. 単なる疲労感とは違う. 気力がなんのまえ触れも無くフッと消えてしまう. 酷い日だと, 朝からなにもする気が起きず床に倒れふし, 昼過ぎに不意に気力が湧いてきた機を逃さず, 近くのショッピング・センターにガム・テープなどの生活用品を買いに行った. 「いつ気力が萎えるか分からない, 急がなければ」 と警戒してはいたものの, 買ったあとに無気力が襲ってきて, しばらく屋内のベンチでぐったりしてしまった. 無気力を拭えぬ中, がんばって帰途に就いたのだけど, 行きにふつうに上がれた階段さえ下りるのがキツいあり様で, 自分でも驚いた. 無気力の襲来タイミングがほんとうに謎 …….