空き瓶

思ったことや自作小説について

アトリエの敗退

Twitter でも呟いたが:

最近親もとから引っこし, 初のひとり暮らしを始めた.

そもそも自分が誰かと暮らすなんて, たとえそれが親だとしても, 無理な話だったのだろう. 僕には友人がいない ―― Web に溢れている自称 「ぼっち」 とは違うぞ, ほんとうに皆無なのだ ―― ので, 想像だが, 平均的なひとよりも親の自分に占める割合が大きいのではないか. 僕にとって親は唯一の雑談相手でもあった.

まえ明確に気づいたことには, 僕はこの親からしか生まれえなかったが, 親にしてみれば, 子が僕である必然性はまったく無いということだ. 調べたら, 人間の精液には数億もの精子が含まれているらしい. 僕以外の精子卵子に達する可能性は, そのときの体勢なりなんなりで幾らでもありえた筈だ. 陰気で無能な自分よりも, 遙かに優れた好人物となる精子が, その数億の中には無数にあった筈だ. それなのに, なぜ親は僕を養ってくれるのか. なにかの誤りで王座に座りつづけているかのような居心地の悪さを, うっすら感じていた.

そうしたいたたまれなさや, 孤独癖というか生来的な人間嫌いの性分 ―― 要するに (他人である) 親への抵抗感や, ともかく明快に言語化できないさまざまな感情が [] いまぜになって, 早く独り立ちしたい気もちが鬱積していた. そこへ 5 月 19 日にあるできごとが起こって, もうここには一刻もいられないと思い, 引っこしを決めたのだった.


思いだせる範囲で経過を記録しておきたい.

家を出ることを決めた 19 日木曜日のうちに, Web で適当な条件の物件 (家賃が安い, アルバイトさきに 30 分以内で行ける, etc.) を見つけ, メール. 21 日土曜日に不動産屋に行くことになった. 21 日, 午前中に条件に合うほかの物件を探してもらったあと, 午後は車に乗せてもらって候補物件を内覧. この時点で候補をひとつに絞った. 夜, 親に家を出るむねを告げ, 緊急連絡さき人になってもらうことを取りつける. 翌 22 日日曜日, 不動産屋に契約することを連絡. 種々の書類に署名するため, 24 日火曜日に再び不動産屋へ. 引っこし日が 31 日火曜日に決まる.

その日まで, あとはひたすら荷造り. といっても, ほとんどの持ちものを置いて出ていく (捨てていく) 前提だったので, 荷物もダンボールふたつに収まり, それをゆうパックで送るだけで済んだ. あと, 電気やガスの開始連絡もした. 31 日の引っこし当日, 不動産屋で鍵を受けとり新居へ. ガス開栓に立ちあったあと, 包丁やフライパン, 洗剤, タオル, 物干し竿といった生活用品を買いに, 自転車で東奔西走した. 1 万円以内で買いそろえられた. 百均やニトリが近くにあって助かった. 夜にゆうパックが届く.

―― おおよそこういう流れだった.

淡々と書いたが, 引っこし自体が初めてで不動産屋なんて入ったことが無かったし, 荷物を送った経験が無くゆうパックを使うのも勇気が要った. なにもかもが未知. 頼るひともおらず *1, 世間に暗い僕には大事業だった.

越してから 10 日近く経つが, 現状, 家電らしい家電が P. C. 以外に無い. 冷蔵庫も洗濯機も無い. 食材はそのつど買いに行き, 洗濯物は洗濯板で手洗いしている. ベッドが無いので床で寝, 未だに引っこしに使ったダンボールを机代わりにしている. 節約のため 1 日の食費を 300 円以下に抑えており, 常時空腹だ. 本を買う余裕も無い. だけれど, どうにかやれているし, 割と幸せだ. 穏やかな日々. ずっとこういう生活が続けば良いのに, と思う.

追記 (2016 年 6 月 24 日)

誤解させたら悪いので, 補記: 読みかえして気づいたのだけど, 親と完全に縁を切ったかのような記事になってしまっているが, べつにそうではない. 引っこしといっても市内なので, 顔を見せにも行ったりして, 表面上は仲良く続けている. もう 2 度と戻りたいとは思わないが.

*1:頼るひともいないような孤独者だから, 引っこしを決意できたところもあるのだが. 身近に親しいひとがいたら, こうためらい無く動けなかった気がする