空き瓶

思ったことや自作小説について

「ゴシカ」 に性愛性は無い

ゴシカ」 では, いかなる性的要素も混入させないように気を付けているつもりだ. 「いいや. 口でそういったところで, ○○ は潜在意識が性器のメタファーとして現れたものだ」 とかいわれたら どうしようも無いが ……, 少なくとも, 意識して性的なメッセージを織りこむことは無い. もしエロティックに解釈できる場面があったとしても, こちらにその意図はまったく無い.

肌と肌との触れあいは, ずぶずぶと連続的に性愛へと繋がってしまう と考えているので, スキンシップも, 明白に清廉であるときを除いて禁じられるべきだ. これもあり, 作中で登場人物たちが親し気にスキンシップを交わすことは, 原則的に無いだろう.

最近思うには, ゴシカは全てが必然的に進行するものとして書きたい. 現実世界も, 遡れば なにもかも物理法則へ還元できるのだろうが, 生活的な実感として, この現実世界を是認したくはないから. もっと人間寄りの近しい必然性にこの作品を貫通させたい ……, そう思っている. そして, 作中でスキンシップが出てこないのは, 正確には (性愛を排除したいからというより), そうした必然性のひとつの結果だ.