空き瓶

思ったことや自作小説について

「ゴシカ」 第 2 章 第 3 部分の憶え書き

21 日に 「ゴシカ」 第 2 章 第 3 部分を公開したので, 忘れないうちにその憶え書きを:

  • 事実上ギーゼラが出てこず, ストーリーに進展の無い繋ぎ回になってしまったが, 自分としてはかなり満足できる内容になったと思っている. 作中世界の尋常ならざる雰囲気を精確に書けたつもりだ
  • 表記を変えた: 句点を半角ピリオド (+ 半角スペース) にする, 英数字の前後に半角スペースを入れる, etc.. 現状で自分にとって考えられる限り最も厳格 [ストリクト] なスペーシング・ルールだ. ほかの部分もこれで統一した *1
  • 色々な固有名詞が出てきた. CS9907, ルーリンク構築, 信号の朝 (S. S.: シグナル・スクリプト), リアル, …… 辺りは, いずれまた登場すると思う. (特にリアルは象徴的な意味を持っているが, 再登場はずっと先となりそう)
  • 巨大嬰児の問いが気に入っている. ギーゼラの特性を端的に表わす回答をうまく書けた
  • nogamina 概念が一番のお気に入り. ところで, この "企図の片鱗も無く ~" の段落は, S. S. についての説明がなにも無い現状では, 飛びきり意味不明だと思う
  • リアルの段落中の一文: "この絶望的な包囲網に, 新品のパンの正しい持ち方を見てほしい" はかなり悩んだ. 「包囲網に ~ 見られるであろうか」 「包囲網は ~ 正しく持てるであろうか」 など散々 [いじ] ったが, 彼らに設定した水準では疑問形は割りに合わない, 要望ぐらいしても (彼らならば) 赦される, ―― そう考えて今の形にした
  • また, 上文中の "絶望的な包囲網" は, 「突破が絶望的な包囲網であること」 を表すとどうじに, 「包囲網自体が絶望的な立ち位置にあること」 も暗示する

*1:ただし あらすじは, 上限文字数のために句読点を全角ピリオド / 全角カンマで代用している

「ゴシカ」 に性愛性は無い

ゴシカ」 では, いかなる性的要素も混入させないように気を付けているつもりだ. 「いいや. 口でそういったところで, ○○ は潜在意識が性器のメタファーとして現れたものだ」 とかいわれたら どうしようも無いが ……, 少なくとも, 意識して性的なメッセージを織りこむことは無い. もしエロティックに解釈できる場面があったとしても, こちらにその意図はまったく無い.

肌と肌との触れあいは, ずぶずぶと連続的に性愛へと繋がってしまう と考えているので, スキンシップも, 明白に清廉であるときを除いて禁じられるべきだ. これもあり, 作中で登場人物たちが親し気にスキンシップを交わすことは, 原則的に無いだろう.

最近思うには, ゴシカは全てが必然的に進行するものとして書きたい. 現実世界も, 遡れば なにもかも物理法則へ還元できるのだろうが, 生活的な実感として, この現実世界を是認したくはないから. もっと人間寄りの近しい必然性にこの作品を貫通させたい ……, そう思っている. そして, 作中でスキンシップが出てこないのは, 正確には (性愛を排除したいからというより), そうした必然性のひとつの結果だ.

灰色の厚みの印象

親にとっては掛けがえの無い唯一の子だから. 祖父母にとっては掛けがえの無い唯一の孫だから. …… って信じていた時期, 今にして思えば笑えるなぁ. すこし考えれば分かることなのに. でも, 友人のいない僕はどうしても家族的な繋がりに甘えてしまっていたし, 自分の立ち位置を幼少時から客観視できるほど利口でもなかった.

生身の人間はディスプレイとか紙面を通してで十分. 会いたくないよ.

笑うといえば, 自分の幅のショボさを考えるたび, 変に愉快な気もちになってしまう. すこしまえまでキャベツとレタスも見わけられなかった. 特に凄惨な経験をしたわけでもなく, 心から 「このために生きてきた」 と思えるような体験も無い. 風が吹いたらあっ気無く吹きちらされて終わるだろう, 軽すぎる人生だ. 別に後悔は無いけれど. (単なる強がりかも知れない)

作者の 「ゴシカ」 への言及について & 第 2 章 第 3 部分のメモ写真

「小説の書き手は, 小説に関する事柄 (あれは実はこういう意図であったとか) を無闇に開陳すべきではない. 伝えたいことは小説内で書きつくすべきだ」

―― 小説家に求められるスタンスとして, こういうものがあるらしい. [もっと] もな意見だと思う. 小説は小説として, 書いた当人にも口出ししてほしくない. あとから作品外でグダグダ付けくわえられたら, その分小説が不純になってしまう気がする. ノイズで楽しめなくなる.

それを分かった上で, この 「ゴシカ」 に関しては ……. 自分なりの意図があって, 積極的に裏話を開陳していくつもりだ.

雑感ですこし触れたが, ゴシカは自分個人のために書いている節が半分ぐらいある. たとえ, 誰か (文章自動生成マシーンでも自分のドッペルゲンガーでも良い) が一字一句おなじ小説を書いたところで *1, 飽くまでそれは他人の創作物であって, 僕には余り意味が無い. 小説に至るまでの道のり, 没になった設定やフレーズ, 自分なりの記述の解釈, 細かな表記ルール, etc. こうした諸々の, ふつうなら (書き手の美徳として) 胸にしまっておくような周辺物も含め *2, ゴシカはひとつの有機的連帯として, 書いたこの自分に意味を成している. だから極端な話, 小説 1 に対し作者 (= 僕) の私的な言及が 100 あっても構わない, ぐらいの気もちだ.

自作に言及することへのスタンスを早いうちに言明しておきたかった. 要は, ゴシカ関連のことは好きに発信していくつもり.


アイディア・メモのスキャン写真. 次話: 第 2 章 第 3 部分のプロットの整理, 及び次々話に関するメモも一部あり. 中央ひだりは, セリフが混じった段落の表記についての覚え書き.

このメモは, 元からブログで公開するものとして書いた *3 < 見られたくないことは書かなかった, という意味も含め (それでも一部無関係なメモをしてしまっており, そこは塗りつぶした). 今後メモの類を載せるさいも, それらは公開を前提にして書いている.


「第 2 章 第 2 部分の覚え書き」 を非公開にした. 内容の乱雑さが嫌になって …….

*1:ゴシカは決して唯一的 [ユニーク] な小説ではない. 客観的にいって, 探せば幾らでも上位互換は見つかるだろう

*2:他人からすれば, 諦めの悪い作品外での蛇足にしか映らないにせよ

*3:個人的な話だが. 私的である筈の日記や手帳の中身を進んで披露 [ひろう] しているひとに ……, 正確には, 公開しながら "自分のための, どこまでも私的なもの" を気どっているひとに, 抵抗を感じてしまう. それで, こう明記した

空しい高度

善意と悪意があれば, 悪意のほうを信用する。悪意はしばしば善意を装うが, 善意が悪意の振りをすることは, よほど苦渋に満ちた決断が無い限り, まず考えられないから。

自分は塵芥 [ちりあくた] である, ゴミである, "自分に特有なもの" なんて無い。毎日のようにこうした自己脅迫を行っているのに, 気が緩んだ一瞬, それでも 「もしかしたら」 と希望を持ってしまう。希望, といえば聞こえは良いが, 要は単なる [おご] りだ。

今さらながら, Android を 5.0.2 Lollipop にバージョン・アップした。Lollipop, 棒付きキャンディーの意味らしい。調べたら, 前バージョン 4.4.2 のコード・ネームは KitKat だそうだ。お菓子で統一しているのだと。やったね。

塔を予感しても, さざめきに浮かぶね

良い加減, なにか期待しながら わけの分からない気配に振りかえってしまうような, こういう生活は止めたいのだが。

それでも最近は, Twitter 上でおふたりから 「ゴシカ」 の感想を戴けて, ホクホクしている。半分は自分の精神療養のための小説だけど, もう半分は 「万が一この小説を気に入ってくれる方がいたら嬉しい」 って思いなので, やはり嬉しい *1
それにしても ……。文筆家が書いた実験小説, とかならまだしも, それこそ どこの馬の骨とも知れない奴が書いた, ああいう偏奇な小説に目を通してくれるなんて, ある種の驚異に感じる。

追記 (2016 年 2 月 3 日)

誤解を与え, 読み手を不愉快にさせかねない記述があったので, 削除した。

*1:この件に限らず, Twitter では嬉しいことが多い

天使的なものへの暴言

Twitterでフォローしているこことり (@kocotori23) さんという方が,最近猫を飼いはじめられた。厭世的なツイートを連発していた方なのだけど,猫を飼われてからというもの,明るいツイートが増えた。猫がある種の支えになっているらしい。

で,個人的にハッとしたのが,「うちも猫を飼っている」 ということだった。そうだ。血統書付きの洋猫を2匹飼っている。自慢になるが,キャット・フードのC. M.で出てくる猫よりも遙かにかわいい超美猫だし,気品もある。だけれど,じゃあ猫たちが心のより所になっているかといわれれば,そうでもない。暇があれば猫を撫でたりしているが,それはそのとき限りの慰みで,生活が全的に救われている感覚は無い。

ともかく,どういうのか。とても愛くるしい猫なのに,それに心を託すこともできていない自分に ……,愛猫のために自身を賭そうという気概も持てずにいる自分に (2016年1月16日 追記),こことりさんのツイートで気づかされた。嫌になるな。なにかに生活を底から彩って一変させてもらいたい癖に,実のところ,この人格がすべて潰している。